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[真作]:佩川の名品!/[草場佩川・彩色カチガラス図・絹本]/佐賀藩校・弘道館教授/朝鮮通信使迎接/佐賀・多久

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Bán bởi hyidi89218
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Số lượng:1
Thời gian bắt đầu:2024.04.26 (Fri) 09:55
Thời gian kết thúc:2024.05.03 (Fri) 09:55
Mở rộng thời gian đấu:Không
Kết thúc sớm:Không
Hoàn trả:Không
Hạn chế thẩm định:Không
Giới hạn xác thực:Không
Trả giá cao nhất:
Giá khởi điểm:80,000 yên ( 13,920,000 đ )
Auction ID:s1132317797

Thông tin sản phẩm

[真作]:佩川の名品!/[草場佩川・彩色カチガラス図・絹本]/佐賀藩校・弘道館教授/朝鮮通信使迎接/佐賀・多久

画面全体に、薄いヤケがあります。他は概ねシッカリしています。


[真作]の表記について
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草場 佩川
天明7年1月7日1787年2月24日)  慶応3年10月29日1867年11月24日))は、江戸時代後期の儒学者佐賀藩多久領出身で、江戸で古賀精里に学び、佐賀藩藩校弘道館教授を務めた。佩川(珮川)はで、通称は磋助(さすけ)あるいは瑳助、は(さかえ)、は棣芳(ていほう)。漢詩人として知られ、文人画にも優れた。
天明7年(1787年)、肥前国多久町において、多久邑主(領主)である多久氏佐賀藩重臣)の家臣、草場泰虎の次男として生まれる。幼くして父を失ったが、母に教えられた和歌をそらんじるなど利発に育った。8歳で多久の東原庠舎に入門。15歳で東原庠舎の「句読師補」(師に代って素読を教える役目)を務めた。
文化元年(1804年)、18歳の時に邑主多久茂鄰(しげちか)の命によって佐賀藩校弘道館に入る。この際、師の古賀穀堂古賀精里の子)から「珮川」の号を与えられた(のちに「佩川」に改める)。
文化7年(1810年)、23歳の時に多久茂鄰に従って江戸に出、古賀精里に学んだ。文化8年(1811年)には古賀精里に同行して対馬朝鮮通信使の迎接にあたる。朝鮮側の使節団と詩文を交わし、文名を挙げている。この時の対馬出張の記録として、画も交えた『津島日記』がある。
文化8年(1811年)に帰郷、多久家の儒官となり東原庠舎に奉職。天保5年(1834年)に佐賀藩弘道館教諭となった。多久家・佐賀本藩の主君の教師となり、また藩士の教育にあたった。また政治にも参画、藩主鍋島直正(閑叟)の信任を受けた。
安政2年(1855年)には昌平黌教授として招聘を受けるも、「老病」を理由として辞退。安政6年(1859年)、73歳で弘道館教授に就任。佩川が教諭・教授を務めた弘道館からは、大隈重信副島種臣大木喬任江藤新平らが輩出した。~~。



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